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一条天皇、猫、白猫
コラム

平安時代に空前の猫ブーム!?一条天皇は無類の猫好きだった?

長い日本の歴史の中、猫がいつからその歴史に登場したのか皆様はご存知ですか?

犬の歴史については以前こちら(日本での犬の埋葬は縄文時代が始まり!?)のコラムにてご紹介した通り、日本では縄文時代から犬が人と暮らしていたという形跡がございます。

では、猫はどうでしょうか?

実は猫の歴史についてはその多くが今もなお謎に包まれており、猫の歴史を示す資料もとても少ないというのが現状でございます。

そんなミステリアスな猫の歴史についてご紹介していこうと思います。

 

招き猫

 

【日本最古の猫の形跡について】

 

猫の伝来についてはまだ多くの謎が残されておりますが、現在発見されている中での日本最古の猫の形跡は長崎県にあるカラカミ遺跡より出土された弥生時代の遺跡から発見されております。

こちらは紀元前1世紀頃の遺跡とされており、当時カラカミ遺跡がある周辺にはヤマネコがいた形跡がないことや、発掘された大腿骨など12点が現在のイエネコの骨格にとてもよく似ているという点から、カラカミ遺跡で発掘されたのは猫だと断定されております。
ただし、この猫であろう生き物の骨はバラバラであった状態から、この猫は火葬や埋葬などをされた訳ではないだろうと言われております。

また、そのことから猫が人にとってどのような立場で、どこからどのような理由で日本国内へと持ち込まれたのかは現在も謎に包まれております。
そして猫に関する古代の資料等が存在しないため、おそらく穀物や織物用の蚕を狙うネズミの駆除が目的だろうと現在では言われています。

また、このことから古代から農家にとって大切な益獣とされており、蛇やオオカミ、キツネなどと共に五穀豊穣や富のシンボルとされていたと言われております。

続きまして、このようにネズミに対抗するための生き物として飼われていたであろう猫の名前の由来についてご紹介していこうと思います。

 

白猫

 

【猫の名前の由来について】

 

猫の名前の由来はについては諸説あり

 

『日本釋名』…ネズミを好むの意

『本草和名』…古名を「禰古末(ネコマ)」とすることから、「鼠子(ねこ=ネズミ)待ち」の略であるとも推定

『言海』…また虎に似ていることから「如虎(にょこ)」が語源という解釈

その他…「ネコ」は眠りを好むことから「寝子」

 

など、その中でもネズミにまつわる名前の由来が最も有力ととされていますが、はっきりとした由来はまだ明らかにはなっていません。

なぜなら、日本において弥生時代から猫が存在した形跡はあれども、その名称自体が登場する資料については平安時代まで存在しないからです。

そして、日本で最初に「猫」という言葉が明記されたとされている文献が「日本現報善悪霊異記」とされています。

この書物の中の一節に「我正月一日狸となりて汝が家に入るとき、供養飯害種の味の物に飽かしめよ」というものが記されており、この文中の「狸」の注釈に「禰古(ねこ)」と記されており、これが日本ではじめての文献上の「猫」という言葉とされております。

さらに、この猫の書かれた一節の全体的な内容は「膳臣広国が死後、ネコに転生し息子に飼われた」となっているため、この頃にはすでに猫が人々に飼われていた様子も伺えます。

また、こちらの内容が慶雲2年(705年)に豊前国(現在の福岡県東部)での出来事とされていることから、飛鳥時代後期には日本国内に猫が存在していたということが分かります。

 

しかし、なぜ平安時代に急に猫という名称が文献に現れたのでしょうか?

 

それは平安時代に巻き起こった「空前の猫ブーム」がその背景にあるとされています。

 

宇多天皇、黒猫

 

【平安時代の天皇に溺愛された猫達】

平安時代に入り天皇を中心に貴族から絶大な人気を誇るようになった猫ですが、その天皇の猫への溺愛っぷりは現代人顔負けだったそうです。
そこで、平安時代に猫好きで知られていた天皇を三名今回はご紹介したいと思います。

 

宇多天皇の場合

愛玩動物として猫が人に飼われ始めたのは平安時代からだと言われております。その人気の火付け役とも言われているのが、既存する最古の天皇の日記「寛平御記」を書いた宇多天皇と言われております。

こちらは、日本初の猫の飼育記録とされており、2月6日条に宇多天皇が父親である光孝天皇が飼っていた黒猫を譲り受けた内容が記載されております。

この頃宇多天皇はまだ即位前で17歳の少年でした。

そして、宇多天皇は父親から譲り受けたこの黒猫をとても大事にしており、日記の中にはそんな様子が伺える文章がいくつも存在します。

例えば、「愛其毛色之不類。餘猫猫皆淺黑色也。此獨深黑如墨。爲其形容惡似韓盧」は「私の猫は類まれな毛色をしている。他所の猫はみんな浅黒い色なのに、うちの猫は墨のような漆黒の毛色をしておりとても美しい。まるで韓盧(韓の国の名犬)のようだ」と書かれており、その溺愛っぷりが伺えます。

他にも「他の猫よりも素早くネズミを捕まえることができる」や「伏せているときは足もしっぽも見えないため、まるで黒い宝玉のようだ。そして、歩くときはひっそりとして音もたてず、雲の上の黒龍のようだ」などとも記しております。

また、宇多天皇に飼われていた猫は「唐猫」と言われており、中国から輸入した猫であると言われております。

また、この唐猫が平安時代の貴族たちからは高貴な猫としてとても人気だったとされています。

 

花山天皇の場合
平安時代に唐猫がとても人気であった様子は、後の天皇である花山天皇が詠んだ歌の一部に記されており「敷島の大和にはあらぬ唐猫の君がためにぞもとめ出たる」つまり「日本の猫ではなく中国の唐猫を、昌子内親王のために特別に探し出した」と書かれていることからも唐猫が特別な猫として扱われていたことが伺えます。

 

一条天皇の場合

さらにその後の天皇である一条天皇は、類まれなる猫好きとしてとても有名な天皇となります。どれくらい猫が好きだったかと言いますと、ご自身が飼っていた猫がある日子猫を生むと、本来は人の子供が生まれた際に行う祝い事である「産養い」というものを行いました。

一条天皇はこの産養いに右大臣や左大臣などを呼び、宮中で盛大に子猫の誕生を生まれた初夜から9日目までお祝いし続けました。

このような様子を見た藤原実資は自身の日記である「小右記」の中で「一条天皇の行動が全く理解できない」と記しております。

さらに、一条天皇は天皇のいる内裏には高貴な身分の物しか自由に出入りができないという問題から、生まれてきた子猫に「命婦の御許」と名前をつけました。

命婦とは従五位下の位を持つ女性のことであり、昇殿を許された殿上人として扱われることとなりました。

また、貴族として仲間入りを果たした命婦の御許に馬の命婦という乳母を一条天皇はつけ、大切に育てたとされています。

そして、その様子は清少納言の書いた「枕草子」にも書かれており、この「命婦の御許」という名前は猫に固有名を付けた記録として、現存しているなかでは最古の名前と言われています。

 

このように、平安時代の天皇を中心に愛玩動物として貴族たちに広く伝わっていった猫ですが、その様子を記した書物として『枕草子』や『源氏物語』などがございます。

また、日本に現存する最も古い猫の絵は『信貴山縁起絵巻』に描かれた猫の絵だと言われており、こちらもまた平安時代に描かれた物とされています。

そんな、猫ブームの様子が書かれた絵や書物の中から今回は有名な書物をピックアップして、次にご紹介していこうと思います。

 

 

【猫が書かれた平安時代の書物】

今回は平安時代に書かれた書物の中でも、もっとも有名な4つの中に出てきた猫の一節をご紹介いたします。

気になる方はぜひ、原文も読んでみてはいかがでしょうか?

では、早速ご紹介していこうと思います。

 

枕草子

清少納言が書いたと言われている「枕草子」の中にも猫について書かれているのをご存知でしょうか?

「猫はうへのかぎり黒くて、他はみな白からん。」という一節があり、これは「猫は背中だけ黒くて、ほかはみな白いのが良い」と訳すことができ、この文章から清少納言もまた猫好きだったのではないかと言われております。

また、上記で紹介しました一条天皇が愛した「命婦の御許」についても記されており、貴族の称号を与えられた上に、女官を乳母としてつけられたなどの描写が書かれております。

 

源氏物語

紫式部が書いたと言われている「源氏物語・若菜上」の中にも猫について書かれた一説がございます。

六條院で蹴鞠の試合が行われた時に、太政大臣の子息である柏木が偶然逃げ出した愛猫のおかげで、思いを寄せていた女三宮の姿を見つけることが出来た場面があります。

この中に登場する猫は「いと小さくてをかしげ」な一匹と、それよりもやや大きい一匹の計二匹の登場します。

そして、猫が逃げ出さぬよう現在で言う首輪と紐代わりに、綱のようなものつけていたという当時の猫の飼い方の様子についても書かれております。

 

更級日記

菅原孝標女が書いた「更級日記」には実際に作者である孝標女飼っていた猫について書かれております。

「猫のいと長う鳴いたるを驚いて見れば、いみじうをかしげなる猫なり」という一節が書かれており、これは孝標女が少女の頃に姉と一緒に上品な迷子猫を可愛がるといった内容となっております。

しかし、この猫はその後、家で起こった火事に巻き込まれて亡くなってしまいます。

そう言った様子から、当時の猫は自由に移動が出来ぬよう紐などに繋がれて飼育されていたとされています。

 

今昔物語

平安時代末期に書かれたとされている説話集「今昔物語」の中には、猫を怖がる藤原清廉という男についての一節がございます。

彼は「前世は鼠にてや有りけむ」つまり、前世がネズミであったために猫が苦手なのだと書かれるほどだったと書かれております。

そんな猫を恐れる藤原清廉の噂を聞いた若い男たちが、その真相を確かめようと清廉に猫をしかけました。

すると、「清廉、猫だに見つれば、極き大切の要事にて行きたる所なれども、顔を塞ぎて逃げ去った」つまり、猫を見て大切な用事も後回しにして逃げてしまったという風に書かれております。

このように、人と猫の面白いお話が書かれている様子から猫が人々の生活に溶け込んでいた様子が伺えます。

 

以上が平安時代に書かれた猫について記されている書物となります。

平安時代まで猫の様子が記述された書物が全く存在しない中、平安時代を境に多くの作品に猫が登場していることから、平安時代から猫が愛玩動物として人々の生活に登場してきている様子が伺えますね。

 

猫おもしろ画像、猫ネタ画像

 

【おわりに】

 

いかがでしたでしょうか?

今、まさにコロナによるステイホームから空前のペットブームが巻き起こっております。

そんなペットブームによって猫を飼い始めた方も多いのではないでしょうか?

そんな愛する猫が一体いつから日本にいたのか、また、猫ブームが平安時代にあったということは実に興味深いことだと思います。

これを機にさらに猫への興味が高まった方がいらっしゃったら幸いです。


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